【まち歩き|アウシュビッツ】ビルケナウ収容所で冷たい雨

アウシュビッツは、
第2次世界大戦中にドイツがユダヤ人を収容して、
ガス室で殺戮したという、
人間の理性のもろさの象徴となった場所で、
現在のポーランド南部にある、
古都クラクフの近郊にありました。

ユダヤ人隔離の収容所は、
ヨーロッパ中あっちこっちにあって、
アウシュビッツには3つも。

クラクフで泊まっていた宿で
日帰りのツアーを頼んで、
8人くらいでバンに乗ってアウシュビッツへ。

すぐそばにも集落があって畑もあって、
普通のポーランド人の生活は、
その時にもこれまでもずっとあって、
ただ、鉄条網に囲まれた広大な敷地に、
破壊されなかった建物が並んでいました。

春のど真ん中、
3週間ほどの旅の途中で立ち寄ったこの日だけが雨で、
気温が低くて寒い。
それだけで気が滅入りました。

チケットを購入して中へ。
アーチに書かれているのは、
「働けば自由になれる」というスローガン。

8人のグループに、
ポーランド人のガイドが一人。
「ポーランド人も、見て見ぬふりをした」と、
後悔の気持ちがあることを教えてくれました。

どんよりとした雲の下、
ぬかるんだ通りの左右に、
ドイツ人の宿舎と職場のたてものが、
整然と並んでいます。

ユダヤ人たちは、
8人が寝る2畳ほどのベッドが、
3段重なっているこの宿舎にいたそうで。
資料や本で知っていたものの、
目で見ると、
なんだか体の中にある心が、
物理的にグッと↓に下がってしまうような、
変な感覚がありました。

実際に使われていた、
毒ガスのタブレットが展示されていました。
なくなった人たちの遺品も、
遺骨で作った半透明なモニュメントも。

戦争が終わった時、
ドイツ人たちはここを破壊して去ったそうだけど、
ガス室も残っていて、
中に入ることができます。
写真撮影は禁止されていませんが、
ほとんどの人は撮っていませんでした。
自分も、撮る気にはなりませんでした。

帰る時間になって、
入り口のほうから振り返ると、
あの有名な引き込み線の建物の内側、
さらにその先にあるプラットフォームがあって、
絶やされない鎮魂の小さな灯りが一つ。

最近またフランクルの「夜と霧」を読みました。
アウシュビッツに収容されたユダヤ人心理学者が、
その体験を心理学の視点で、
深く冷静に書いたもの。

もう10年以上も前に、
一緒にプロジェクトに携わっていた、
末政幹さんが、
先に会社を去り、自分もやめたころに、
勧めてくれた一冊でした。

中欧の旅 2016年4月‐5月/ Mid Euro, April – May 2016

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